――〇時半を過ぎて、音楽番組も終わった。愛美もそろそろ眠くなってきて、大きな欠伸をする。「愛美ちゃん、眠そうだね。そろそろ部屋に戻って寝たら?」「うん、そうしようかな……」「明日……っていうかもう今日か。よかったら一緒に初詣に行かないか?」「初詣? 行きたい!」 去年のお正月には、さやかちゃんの家族と一緒に川崎大師まで初詣に行った。今年は純也さんと二人で初詣。愛美としては、これはぜひとも行きたい。「じゃあ行こう。どこがいいかな……。明治神宮は人が多すぎて愛美ちゃんが酔っちゃいそうだしな」「わたしはどこでもいいよ。純也さんに任せるね」「分かった。じゃあ、行き先はお楽しみってことで。――じゃあおやすみ。風邪ひかないようにね」「うん。おやすみなさい」 ――自分の部屋に戻った愛美は、ベッドの上でスマホのメッセージアプリを開き、さやかにメッセージと新年らしいスタンプを送信した。『さやかちゃん、あけおめ~☆ 今年もよろしく。』『愛美、あけおめ。 こちらこそよろ~~♪ あ、いま珠莉からもあけおメッセージ来た。』「……えっ、珠莉ちゃんも送ったんだ。ってことは治樹さんにも?」 珠莉が想い人であるさやかの兄・治樹にも新年の挨拶メッセージ、さやか曰く〝あけおメッセージ〟を送ったかどうかは分からないけれど、彼女がこの時間にまだ起きていたこと自体が驚きである。「夜更かしは美容に悪い」というのが、珠莉の口癖なのに。「へぇー、珍しいこともあるもんだ」 これがただ単にお正月だからなのか、それとも好きな人ができて初めて迎えるお正月だからなのかは愛美にも分からない。でも、愛美だって珍しくこの時間まで起きているのだから、多分後者ではないだろうか。「……さて、本格的に眠くなってきたなぁ。そろそろ寝ようっと」 ベッドに潜り込んで三秒で、愛美はストンと寝入ってしまう。 翌朝は八時ごろまで起きられず、愛美は八時半ごろに純也さんと二人でセカンドダイニングで朝食を摂り――珠莉はメインダイニングで家族と朝食を済ませたらしい――、辺唐院家の人たちに新年の挨拶をしてから神(かん)田(だ)明(みょう)神(じん)へ初詣へ出かけたのだった。
* * * * ――愛美の高校二年生の冬休みは、大好きな純也さんとのステキな思い出を山ほど残して過ぎていった。 そして迎えた三学期――。「――愛美、今日は午後から部活行くの?」「うん。部室に自分のパソコン持ち込んで、原稿書こうと思って。さやかちゃんと珠莉ちゃんは?」「陸上部(ウチ)は始業式恒例のミーティングだけ。あたし、部長になったからさ。茶道部(珠莉んとこ)は?」「今日から活動があるわよ。新春茶会なの」 始業式とH.R.(ホームルーム)が終わった後の、ランチタイムの食堂である。今日は三人とも制服姿だ。「そういや、愛美も四月から部長になるんだっけ?」「うん。わたし、二年生から入部したのにいいのかなぁって遠慮したんだけど。どうしてもって言われて」「それで引き受けたんだ? そういうお人好しなところが愛美らしいっちゃらしいんだけどさぁ」 今日の昼食のメニューはポークジンジャー定食。スープはミネストローネでサラダにはプチトマトが入っているけれど、トマト嫌いの珠莉はプチトマト抜きで、スープもポタージュに変えてもらっている。「それ、褒めてる? 貶してる?」「もちろん褒めてるんだよ? あたし、人のこと貶すのキライだもーん」 さやかは澄まし顔でそう言って、ごはんをかき込んだ。「――で、愛美。好きな人と過ごした年末年始はどうだった?」「クリスマスと大晦日に純也さんとデートして、……あ、これは小説を書き始めるための取材でもあったんだけど。年越しは彼のお部屋で、二人で紅白と音楽番組観てね。新しい年を迎えた瞬間、彼にキスされた」 愛美はあの時のドキドキを思い出して、ちょっぴり頬を染めた。 何度キスを経験しても、なかなか慣れるものではない。ポーカーフェイスなんてしていられない。「あらあら♡ 可愛いじゃん♪ いいなぁ、彼氏と二人で年越しなんて」「えへへ、まあね。さやかちゃんは今年もご家族と、でしょ」「うん。あたしはまだ当分、恋愛とは無縁かなぁ。――あ、そういやお兄ちゃんのスマホに珠莉からあけおメッセージ来てたよ。あたし、無理やりスクショ送らせたんだ」「……さやかちゃん、プライバシーは?」「そんなの、ウチの兄妹間には存在しないから。ほら、見て見て」 とんでもなく失礼な発言をしたさやかは、兄に送らせたメッセージのスクリーンショットを表示させ、
『治樹さん、明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。』『珠莉ちゃん、固い固い(笑) こちらこそ明けましておめでとー。今年もよろしく。 オレ、就活ガンバって、珠莉ちゃんの相手にふさわしい男になるぜ!!』「……あらあら、これは――」「ね? これってさ、珠莉がウチのお兄ちゃんに脈アリってことじゃんね?」 このやり取りを見る限り、治樹さんも少なからず珠莉のことを好ましく思っているようだ。二人がカップルになるのも時間の問題かもしれない。「お……っ、お二人とも! 私をネタにして遊ばないで下さる!?」「えー? いいじゃん。あたしたちはアンタの恋を応援してるだけなんだしさ。ね、愛美?」 勝手に自分の話題で盛り上がっている親友二人に、珠莉が吠えた。でも、さやかも愛美も少しも動じない。「うん。純也さんも背中押してくれると思うよ。珠莉ちゃん、まだ治樹さんにハッキリ気持ち伝えてないでしょ? 来月はバレンタインデーもあることだし、わたしとさやかちゃんと三人で手作りチョコ、頑張ってやってみない?」「あ、それいい! 当然、愛美も純也さんにあげるつもりなんだよね?」「もちろん! あとね、もう一つプレゼントも用意しようと思って。わたし、去年はインフルエンザで倒れてそれどころじゃなかったから」「あー、そういえばそうだったね。寮母の晴美さん、毎年寮生にチョコ配ってるらしくてさ。あたしと珠莉も去年もらったんだけど、愛美の分は『食欲ないだろうから』って断ったんだよね」「えー、そうだったの? 惜しいことしたなぁ。熱さえ出さなきゃもらえたのに」 あの時、「〝あしながおじさん〟に見限られたかもしれない」とネガティブになっていたことも、お見舞いに届いたフラワーボックスと手書きのメッセージに大泣きしたことも、今となっては思い出だ。(あの頃はまだ、純也さんがおじさまだって知らなかったもんなぁ。今考えたら、あの人がわたしを見限るなんてあり得ないのに。だって彼、わたしにベタ惚れしてるんだもん) 純也さんのことを考えていて、思い出した。「あ、そういえば純也さん、バレンタインデーにまたここに遊びに来るって言ってたよ」「えっ、マジ? わざわざ愛美からチョコもらうために来るワケ?」「うん、それもあるけどね。なんか、わたしたち三人にチョコをくれるつもりみたい」「
「さやかちゃんのチョコ好きは本物だね。わたしと純也さんが予想した通りの反応してくれるんだもん」「だって、あの人がここに来たら毎回チョコ系のスイーツ食べられるじゃん。もう、チョコ大好きなあたしにとってはもはや神だね」「神……」「あ、でも愛美から横取りしようなんて思わないから安心してね。あたしにとって純也さんは、親友のステキな歳上の彼氏で、もう一人の親友の叔父さんでしかないから。恋愛対象としてはちょっと年離れすぎてるし」「うん、分かった。ありがと」 とりあえず、さやかと修羅場にはならなそうなので愛美は安心した。 * * * * 愛美が午後の部室で、自分のパソコンで原稿を書いていると、顧問の上村先生に「遠慮しないで、部室のパソコンを使っていいのよ」と言われた。「ありがとうございます、先生。でも、ここのパソコンはみんなの物ですから。わたし一人で独占するわけにもいかないじゃないですか」「……そう? まあ、プロの作家になったからって、特別扱いはよくないわよね」「そうでしょう? もしかしたら、この文芸部から第二、第三のわたしが誕生するかもしれないんですよ。そういう子たちに部室のパソコンは譲ってあげないと」 部長になる身としては、自分のことばかり考えていてはいけないのだと愛美は思っている。他の部員たちに気持ちよく活動してもらうことが第一だ。「――それにしても、ウチの部から作家デビューする人が出てくるなんて。確かに相川さんは夏から『公募に挑戦したい』って言っていたけど」「ですよね。ホントにデビュー決まっちゃうなんて、私もビックリしました。やっぱり愛美先輩には才能があったんですよ」 上村先生が感心していると、一年生の絵梨奈もそれに同調した。「何言ってるんだか。絵梨奈ちゃんだって、今年の部主催のコンテストで大賞獲ったじゃない。あれだけでもスゴいことなんだよ?」 愛美の作家としての本格的なスタート地点もそこだったのだ。絵梨奈がそれに続かないとも限らない。「いやいや。去年、愛美先輩が大賞獲った時のコンテスト全体のレベル、めちゃめちゃ高かったって上村先生から聞きましたよ。その中で大賞って、やっぱり先輩に才能があったからですって。私とじゃレベチですよ」(「レベチ」って、絵梨奈ちゃんってめちゃめちゃイマドキの子だなぁ) 彼女はもしかしたら、ごく一般的な家
* * * * ――愛美は三時半ごろに部室での執筆を切り上げ、寮に帰る前に少し寄り道をした。 制服のままで――寒いのでコートも着込んできたけれど――学校の敷地を抜け出し、最近学校の近くにオープンした百円ショップに立ち寄る。そこで買い込んだのは大量のブルーの毛糸と編み棒三組だ。「――さやかちゃん、珠莉ちゃん、ただいま」 寮の部屋に帰ると、二人はすでに帰ってきていた。陸上部も茶道部も早く終わっていたらしい。「愛美、おかえり!」「愛美さん、おかえりなさい。今、温かい紅茶を淹れて差し上げるわね。ティーバッグで申し訳ないけど」「ありがと、珠莉ちゃん。はー、外寒かったぁ」 着替えるのは後にして、愛美は一旦勉強スペースの椅子に腰を落ち着けた。スクールバッグと百円ショップの袋は床にドサリと置く。「――はい、どうぞ。お砂糖はご自分でね」「うん、ありがと。……あー、あったまる……」 温かい紅茶を飲んでひと息ついた愛美に、さやかが話しかけてきた。「ところで愛美、その百均の袋はなに? 何か買ってきたの?」「うん。ちょっと毛糸と編み棒をね。純也さんに、手作りチョコと一緒に手編みのマフラーをあげようと思って」「手編みのマフラーか。いいんじゃない? っていうか、あたしだけじゃなくて愛美も編み物得意なんだ?」 さやかは勉強こそ苦手だけれど、こと家庭科に関しては体育と同じくらい成績がいいのだ。幼い頃からあのお母さんとお祖母(ばあ)さんに仕込まれてきたからだろう。「うん、得意だよ。っていうわけで、バレンタインデーに向けて三人で編み物教室をやろうと思うんだけど、どうかな? 二人の分も、毛糸と編み棒あるから」「あたしは賛成♪ あげる人いないから、とりあえずお兄ちゃんにあげとくとして、珠莉は?」「私、編み物したことないの。だからお二人のどちらか、私に教えて下さいません?」 珠莉はしょんぼりと眉尻を下げた。最近の彼女はすごく素直で、初めて会った頃の高飛車な態度はどこへやら。「いいよ、教えてあげるよ。ただ、わたしの得意な編み方、けっこう上級者向きだから……」「じゃあ、あたしが珠莉に教えるよ。愛美は奨学生なんだから勉強も大変だし、作家だから原稿も書かなきゃいけないし、忙しいでしょ? ムリさせたらまた去年みたいに倒れちゃうからさ」「あ……、その節は二人に心配おかけ
(まあ、〝あしながおじさん〟に甘えるのが苦手だったのは、秘書の久留島さんがどんな人なのか分かんなかったからっていうのもあるけど。電話で話した感じでは、すごく優しくていい人そうだったし。……そうだ!) 純也さんはバレンタインデーに「田中さんの分の贈り物は要らない」と言っていた。それなら、秘書の久留島さんに贈るというのはどうだろう?(久留島さんにも何かとお世話になってるから、そのお礼ってことで。純也さんも久留島さんのことは何も言ってなかったし) これなら純也さんが二人分もらうことにもならないし、門が立たない。「……わたし、もう一人あげたい人がいること思い出した」「えっ? 誰だれ?」「おじさまの秘書の人。普段お世話になってるから、そのお礼に」「「ああー……」」 愛美の答えに、二人ともが納得した。「おじさまの分は要らないって純也さんに言われたけど、秘書の人は別でしょ?」「……確かに」「そうねえ。叔父さま、秘書の方のことは何もおっしゃってなかったんでしょう?」「うん。っていうか、わたしもついさっき思いついたの。なんで気がつかなかったんだろう! ……あ、一人分増えたら毛糸足りない! 買い足さないと!」「待って待って、これから行くの? もうすぐ暗くなるし、一人で行ったら危ないよ。あたしたちも百均行くの付き合うから、とりあえず愛美は着替えておいで」「……あ、そうだった」 愛美が私服に着替えてから、三人は百円ショップでグレーの毛糸の他にチョコ作りの道具やラッピング用品などもドッサリ買い込んだ。 * * * * ――仲良し三人組で編み物教室とチョコ作りを楽しみながら頑張り、迎えたバレンタインデー当日。この日は土曜日。学校はお休みである。「愛美、初めての手作りチョコ、ちゃんと美味しくできてよかったね」「うん! これなら自信持って純也さんに渡せるよ。絶対喜んでくれると思う」 昨日、できたチョコを一人一個ずつ試食してみたら、満足のいく出来だったのだ。「珠莉も、手編みのマフラー、どうにか形にはなったし」「ええ。さやかさんの教え方がよかったからよ。あとはラッピングで何とかごまかしましたわ」 元々編み物が得意な愛美とさやかが編んだものの出来映えは、言わずもがなだ。特に愛美は、同じ日数で純也さんの分と久留島さんの分の二本を編み上げている。「――さ
「――もしもし、お兄ちゃん。今日バレンタインじゃん。でさ、珠莉がお兄ちゃんに渡したいものあるって。今からこっちに来られる?」 治樹さんが純也さんと顔を合わせるのは、原宿へ遊びに行った五月以来、七ヶ月ぶりだ。あの時の純也さんは治樹さんに嫉妬心むき出しで、愛美も「大人げない」と思ったけれど……。(……ま、今回は大丈夫でしょ。わたしともう恋人同士なわけだし、治樹さんは珠莉ちゃんに会いに来るんだし)「……分かった。じゃあ待ってるからね。――珠莉、お兄ちゃんもこっち来るって」「そう。……嬉しいけれど、何だかドキドキするわ」「分かるなあ。わたしも今、ドキドキしてるもん。付き合ってたって気持ちはおんなじ」 好きな人に贈り物を渡す前の女の子の気持ちは、誰しも共通しているのかもしれない。「喜んでもらえるかな」「ガッカリされないかな」と。今日はそんな女の子たちが全国に溢れ返る、そんな日なのだ。「ええ、……そうね」「喜んでもらえるといいね、お互い。頑張って作ったんだもん」「ええ」 * * * *「――やあ、愛美ちゃん! 珠莉にさやかちゃんも、元気してた?」 午後三時を過ぎて、〈双葉寮〉の前に現れた純也さんは、休日だからかハイネックのニットの上からダウンジャケットを着込んだカジュアルスタイルだった。ボトムスは焦げ茶色のコーデュロイパンツ。デニムではないところが、全体のバランスを整えていてオシャレな彼らしい。「はい、みんな元気ですよー。愛美も今年はインフルかかんなかったしね」「うん。純也さん、来てくれてありがとう」「叔父さま、ようこそいらっしゃいました。今日はまたずいぶんとカジュアルな装いですこと」「三人とも、熱烈歓迎ありがとう。そして珠莉、今日も辛辣なコメントありがとうな」 純也さんは出迎えてくれた三人に笑顔でお礼を述べ、姪である珠莉にはブッスリと釘を刺すことも忘れない。「……それはさておき。さやかちゃん、珠莉、これは俺から。欧米では、バレンタインデーには男から女性に贈り物をする日なんだ。って珠莉は知ってるか」 彼はまず、二人にチョコレートの箱を手渡す。多分、一箱千円はする、ちょっとお高いチョコだと愛美は推察した。
「わあ、ありがとうございます!」「ありがとうございます、叔父さま。……あら、愛美さんの分は?」「そして、愛美ちゃんにはこれ」 愛美にくれたのは、可愛い猫をモチーフにした別のブランドのチョコだった。……確かこれは、一箱二千円くらいしたはず。「ありがとう! これ、SNSで見て気になってたの。可愛くて食べるのもったいないなぁって」「ホントに? 俺もさ、こういうの愛美ちゃんは好きそうだなと思って選んだんだ。喜んでもらえてよかった」「……なんか、愛美のだけあたしたちのと差つけられちゃったよね。別にいいんだけどさあ」「そりゃ、彼女だからね。二人には申し訳ないけど、差をつけさせてもらいました」 さやかのボヤきに、純也さんは悪びれた様子もなく答えた。「……あ、治樹さん」 そこへ、タクシーからさやかの兄・治樹が降りてきた。 ――五人は応接室へと移動し、そこで三人の女の子たちはプレゼントを渡すことになった。「まあ、治樹さん! ようこそいらっしゃいましたわ!」 珠莉は好きな人を、叔父以上に熱烈歓迎した。「あ、珠莉ちゃん。やっほー♪ つうか、これって今どういう状況?」「あたしが説明するよ、お兄ちゃん。純也さんは愛美に会いにきた。ついでにあたしたちにもチョコくれた。で、お兄ちゃんには珠莉のために来てもらったの。そして可愛い妹のためにもね。以上」 また純也さんとバチバチになりそうな兄に、さやかが説明した。「というわけで、治樹さん。これを……。手作りのチョコレートとマフラーです。マフラーは初めて編んだので、あまり自信がないんですけど……」「あ……ありがとう。オレのために一生懸命編んでくれたんだよね? 嬉しいよ」「それで……その、私とお付き合いして下さいませんか? 私、治樹さんのことが……」「うん、オレも好きだよ」「……えっ!?」(あらら、なんか二人、いい感じ……) 何だか新たなカップルが誕生しそうな予感に愛美も嬉しくなり、今度は自分の番だと純也さんの袖先を掴む。「純也さん、これ。――さっき珠莉ちゃんがバラしちゃったからもう言っちゃうけど、チョコと手編みのマフラー」「ありがとう。……で、チョコの味は?」「保証つき。三人でちゃんと試食もしたから」「そっか、よかった。――で、こっちの包みがマフラーか。開けていいかな?」「うん、どうぞ」 純也さ
「……お二人とも、聞こえてるんだけど」「あっ、ゴメン!」「こっちの話は気にしないで、読む方に集中して?」 さやかと愛美が謝り、そう言うと、珠莉はひとつため息をついた後にまた画面に視線を戻した。「集中して」と言ったって、ムリな話ではあると思うのだけれど――。 ――それから一時間ほど後。「愛美さん、読み終わりましたわよ」 珠莉がパソコンの画面を閉じて、愛美に声をかけてきた。「えっ、もう読んだの!? 早かったね」 あの小説は原稿用紙三百枚分ほどの長さがあるので、じっくり読み進めると読み終えるまで二時間以上はかかるはずだ。ということは、珠莉は読むスピードを速めたということになる。「ええ、愛美さんが私からのアドバイスを待ってると思って、急いで読んだのよ。――それでね、愛美さん。この小説で私が感じたことなんだけど」「うん。どんなことでも大丈夫だから、忌憚なく言って」「じゃあ、述べさせてもらうわね。――私の感じたことを率直に言わせてもらうと、やっぱりこの小説の中からは、あなたのセレブに対する苦手意識というか偏見というか、そういうものが読み取れたの。出版に至らなかった理由はそこなんじゃないかしら」「あー、やっぱりそうか。編集者さんからも同じこと言われたんだ」 書籍として流通するということは、この小説が多くの人の目に触れるということだ。読んだ人の中には気分を害する人も出てくるかもしれない。プロとして、そういう内容の本を世に送り出すわけにはいかないと判断されたのだろう。 もしこの小説を珠莉ではなく、純也さんに読んでもらったとしても、きっと同じことを言われたに違いない。「『出版できない』って聞かされた時はショックだったけど、これで納得できたよ。ありがとね、珠莉ちゃん」 これで、初めての挫折からはすっかり立ち直ることができそうだ。愛美はもう前を向いていた。「いえいえ、私でお役に立ててよかったわ。でもあなた、思ったより落ち込んでいないみたいね」「そういやそうだよねー。『ヘコんだ」って言ったわりにはけっこう前向いてるっていうか」「うん。もうわたしの意識は次回作に向いてるから。いつまでも落ち込んでられないもん」 二年前の愛美なら、いつまでもウジウジ悩んでいただろう。でも、もうネガティブな愛美はいない。純也さんに釣り合うよう、いつでも自分を誇れる人間でいた
「ええ、いいわよ。私でよければ。とりあえず着替えさせてもらうわね。それからでもいいかしら?」「あ、うん。もちろんだよ。ありがと。なんかゴメンね、帰ってきたばっかりなのに」「いいのよ、愛美さん。謝らなくてもよくてよ」「ありがとねー、珠莉。アンタと愛美、すっかり仲良くなったよね。最初の頃はさぁ、愛美に『叔父さま盗(と)られた~!』とか言ってたのに」 さやかは二年以上も前の話を持ち出して、二人の関係がすっかり変わったことに感心している。あれはこの高校に入学した翌月で、純也さんが初めて学校を訪ねてきた時のことだ。 それに対して、珠莉が制服から私服に着替えながら答える。「あの頃はまだ、純也叔父さまが愛美さんのいう〝あしながおじさま〟の正体で、お二人が恋人同士になるなんて思ってもみなかったもの。本当に、人生って何が起こるか分からないものよね」「うん……、ホントにね」 珠莉の最後のセリフに愛美も頷いた。純也さんが〈わかば園〉の理事をしていなければ、理事であったとしても愛美の学費を援助すると申し出てくれなければ、彼女は今この場にいなかったのだ。山梨県内の公立高校で、悶々とした高校生活を送っていただろう。もしくはどこかの温泉旅館で住み込みの仲居さんとして働いていたとか。「――はい、お待たせ。着替え終わったから原稿を読ませてもらうわ。データは残してあるのね?」「うん。わたしのPCのデスクトップと、一応USBにも保存してあるよ。待ってね、今ファイル開くから」 愛美は自分のノートパソコンで、ボツになった原稿のファイルを開いた。「これがその小説だよ」「分かったわ。じゃあ、ちょっと失礼して」 珠莉は愛美に場所を譲ってもらい、ブルーライトカットのためにPC用の眼鏡(メガネ)をかけて小説の原稿を読み進めていった。「……珠莉ちゃんって普段は眼鏡かけないけど、たまにかけるとすごく知的に見えるよね」「顔立ちのせいなんじゃない? あたしが眼鏡かけてもああはならないよ。あたし、上向きの団子っ鼻だからさ」 珠莉が真剣な眼差しで原稿を読み進める傍(はた)で、愛美とさやかはヒソヒソと彼女の意外なギャップを発見して盛り上がっていた。愛美に至っては、彼女の頼みごとをした本人だというのに……。
「あ、愛美。おかえり。――どうした? なんかちょっと元気ないじゃん?」「うん……。さやかちゃん、鋭い。ちょっとね、ヘコんじゃう出来事があって」「もう友だちになって三年目だよ? 元気がないのは見りゃ分かるって。今日は編集者さんと会ってたんだっけ。じゃあ、作家の仕事絡み?」「正解。詳しい話は珠莉ちゃんが帰ってきてからするけど、長編の原稿がボツ食らっちゃってね」「えっ、ボツ!? 長編ってあれでしょ、冬からずっと頑張って書いてて、夏休みの間に書き上げたっていう、純也さんが主人公のモデルだった」「うん、そうなの。あれ」 さやかがズバリ、どんな作品だったか言い当てて愛美も頷いたけれど、さすがに純也さんが主人公のモデルだったという情報まで言う必要はあっただろうか?「う~ん、そっかぁ……。珠莉、部活は五時までだったと思うから。帰ってきたら一緒に話聞いてもらおう。珠莉の方が、あの小説のどこがダメだったか分かると思うんだ」「そうだね。わたしもそう思ってた」 一応は社長の娘だけれど庶民的なさやかより、生まれながら名家のお嬢さまである珠莉の方が、ダメ出しのポイントが適格だと思う。何せ、モデルは彼女の血の繋がった叔父なのだから。 それから三十分ほどして、部活を終えた珠莉が部屋に帰ってきた。「――ただいま戻りました」「珠莉ちゃん、おかえり。部活お疲れさま」「珠莉、おかえりー。何かさあ、愛美が聞いてほしい話があるんだって」 珠莉がクローゼットにスクールバッグをしまうのを待ってから、二人は彼女に声をかけた。 彼女は最近、週末は雑誌の撮影で忙しいけれど、平日の放課後はまだ部活があるので撮影は入っていないらしい。こちらも学業優先なのだ。「――愛美さん、私に聞いてほしい話ってなぁに?」「えっと、わたしが冬休みから長編小説を書いてたこと、珠莉ちゃんも知ってるよね? ……純也さんが主人公のモデルの」「ええ、知ってるわよ。夏休みの間に書き上がって、編集者さんにデータを送ったらしいってさやかさんから聞いたけど。あれがどうかして?」「実はね、あの小説、ボツになっちゃったの。今日、編集者さんから『あれは出版されないことになった』って聞いて。でね、どういうところがダメだったのか、珠莉ちゃんに読んで指摘してもらえたらな、って思ったんだけど……」 珠莉はプロの編集者ではないので、
「――そうだ! 次回作は〈わかば園〉のことを題材にして書こう」 自分が育ってきた、よく知っている場所のことなら書いていてリアリティーもあるし、作品に説得力を持たせることもできる。当然のことながら、主人公のモデルは愛美自身だ。「よし、次回作はこれで決定! 今年の冬休み、久しぶりに〈わかば園〉に帰って園長先生とか他の先生たちに話聞かせてもらおう」 愛美の記憶にあることはまだいいけれど、憶えていない幼い頃のことや、愛美が施設にやってきた時のことは園長先生から話を聞かなければ分からない。――それに、愛美の両親のことも。(わたし、お父さんとお母さんが小学校の先生で、事故で亡くなったってことしか知らないんだよね。どんな両親で、どんな事故で命を落としたのか知りたいな) 施設で暮らしていた頃は、まだ幼くて話しても分からないから教えてくれなかったんだろう。でも、愛美も十八歳になって、世間では一応〝大人〟なのだ。今ならどんな話を聞かされても理解できると思う。それがたとえどんなに残酷な話でも、聞く覚悟はできているつもりだ。「……うん、大丈夫。わたしはもう大人なんだから、どんな話を聞いても怖くない」 愛美は決意を新たにしたことで、自身の初めての挫折とも向き合うことを決めた。「今回ボツになったこと、報告しないわけにはいかないよね……」 もちろん〝あしながおじさん〟に、である。ガッカリされるかもしれない。けれど、失望はされないと思う。だって、純也さんはそんなに冷たい人ではないから。「でも、慰められるのもまたツラいんだよね。そこのところは手紙で一応釘を刺しとくか」 部屋に帰ったら〝おじさま〟宛てに手紙を書こう。そう決めて、愛美は寮の玄関をくぐった。「――相川さん、おかえりなさい」「ただいま戻りました。あ~、晴美さんとこうして話せるのもあと半年足らずかと思うと淋しいです」 寮母の晴美さんと挨拶を交わせるのも、高校卒業までだ。大学に進めば寮を変わらなければならないので、当然寮母さんも違う人になる。「私も淋しい~! でも、寮母として寮生の巣立ちを送り出さなきゃいけないから。毎年淋しく思いながら、断腸の思いでそうしてるのよ」「そうなんですね。あと半年、よろしくお願いします」 晴美さんにペコッと頭を下げてから、愛美はエレベーターで四階へ上がった。角部屋の四〇一号室が、三
「……あの、ボツになった理由は?」「あの作品、セレブの世界を描いてますよね? その描写が不十分というか、かなり不適切な描写があったと。先生個人の偏見のようなものが含まれていたようなんです」「ああ~、そう……ですよね。わたし、実は一部の人たちを除いてセレブの人たちって苦手で。冬休み、セレブのお友だちの家で過ごしていた時に色々と取材したんですけど。その時もあまりいい印象は持てなかったです」 純也さんとデートした日のこと以外にも、愛美はあの家に出入りしている富裕層の人たちを観察したり、クリスマスパーティーの時に感じたことも小説の中に織り込んでいた。多分、それが原因だろう。「なるほど……。冬休みといえば二週間くらいですか。富裕層の人たちのことを正しく描写しようと思えば、その程度の日数では足りなかったんでしょう」「ですよね……」 愛美はすっかりヘコんでしまい、大きくため息をついた。(わたしってホントは才能ないのかな……。純也さんの買い被りすぎ? だったら、彼にムダなお金使わせちゃっただけかも)「先生、そんなに落胆しないで。今回は残念な結果でしたけど、次回作でいい作品をお書きになればいいんです。先生はまだ高校生ですし、先生の作家人生はまだ始まったばかりなんですから。焦らず、じっくりといい作品を送り出していきましょう。僕も協力を惜しみませんから」「はい……、そうですね。次回作は頑張ってみます」 ――愛美持ちで会計を済ませて岡部さんと別れた後、愛美は自分でも悪かったところを反省してみた。(岡部さんに原稿を送る前に、珠莉ちゃんにデータを送って読んでもらえばよかったかな。珠莉ちゃんなら何か的確なアドバイスをくれたかも) 愛美にとっていちばん身近なセレブが珠莉である。彼女に最初の読者になってもらえば、「ここがよくない」とか「ここはこういう書き方の方がいい」とか助言してもらえて、もっといい作品になったはず。そうすればボツを食らうこともなかったかもしれない。(……まあ、〝たられば〟言いだしたらキリがないし、もう終わったことだからどうしようもないんだけど) 済んでしまったことを悔やむより、前に進むことを考えなければ。「次回作……、どうしようかな」 寮への帰り道、悩みながら歩いていた愛美の頭を不意によぎったのは、彼女が中学卒業まで育ってきたあの場所のことだっ
* * * * それから数週間後の放課後。この日は文芸部の活動はお休みだったので、短編集のゲラの誤字・脱字などのチェックを終えた愛美は学校の最寄駅前にあるカフェに担当編集者の岡部さんを呼び出した。「――はい。相川先生、お疲れさまでした。これでこの短編集『令和日本のジュディ・アボットより』は無事に発売される運びとなります」「よろしくお願いします。わたしも発売日が待ち遠しいです」 愛美は確認を終えたゲラを大判の封筒に入れる岡部さんに、改めてペコリと頭を下げた。 ゲラの誤字や脱字を赤ペンで修正していく作業は初めてだったけれど、思いのほか少なかったので楽しくこなすことができた。あとは一ヶ月後、本屋さんの店頭に並ぶ日を待つだけだ。(純也さん、聡美園長とか施設の先生たちにも宣伝してくれたかな。もちろん自分では買って読んでくれるだろうけど) 彼は〈わかば園〉を援助してくれている理事の一人でもあり、あの施設の関係者で愛美の書いた本がもうじき発売されることを前もって知っているのも彼だけなのだ。彼ならきっと、園長先生にはそれとなく報告しているだろうけれど。 (どうせなら、立て続けに二冊発売される方が園長先生や他の先生たちも、もちろん純也さんも喜んでくれるだろうな……)「――ところで岡部さん、わたしの長編の方はどうなりました? データを送ってから一ヶ月以上経ってると思うんですけど」 そろそろ出版するかどうかの決定が下される頃だろうと思い、愛美は岡部さんに訊ねてみたのだけれど……。「…………すみません、先生。それがですね……、あの作品は残念ながら出版できないということになってしまいまして。つまり、ボツということです」「えっ? ボツ……ですか」 彼の返事を聞いて、愛美は目の前が真っ暗になった気がした。岡部さんはあれだけ作品を褒めてくれたのに、熱心にアドバイスまでくれて、書き上がった時にはものすごく喜んでくれたのに……。(なのに……ボツなんて)「だって、岡部さん言ってたじゃないですか。『これは間違いなく出版されるはずです』って」「いえ、僕はあの作品を気に入ってたんですけど……、上が『ダメだ』というもので。僕も本当に残念だとは思ってるんですが、まぁそそういう次第でして」「そんな……」 岡部さんもガッカリしているのだと分かったのがせめてもの救いだけれど
彼も反省してたんだって知って、わたしは彼を許してあげることにしました。やっぱり彼のことが好きだから、仲違いしたままでいるのはつらかったの。仲直りできてよかったって思ったのと同時に、どうしてもっと早くできなかったんだろうとも思いました。フタを開けてみたら、こんなに簡単なことだったのに。 純也さんに、この秋に発売されることが決まってる短編集の売り込みもバッチリしておきました(笑) わたしが作家になって記念すべき一冊目の本だもん。ぜひとも読んでもらいたくて。 純也さんは今、まだオーストラリアにいるそうです。あと二、三日したら帰国するって言ってましたけど。 日本とオーストラリアには時差は一時間くらいしかないけど、あっちは南半球なので季節が真逆だっていうのが面白いですね。「こっちは寒さが厳しいから、早く日本に帰りたいよ」って彼は言ってました。帰ってきたらきたで、こっちはまだ残暑が厳しいからあんまり過ごしやすくないけど。そういえば、オーストラリアってクリスマスシーズンは真夏だから、サンタクロースがトナカイの引く雪ゾリじゃなくてサーフボードに乗って登場するんだっけ。 付き合ってる以上、純也さんとはこれから先もケンカするかもしれないけど、今回のことを教訓にして早く仲直りできるようにしようと思います。どっちかが折れなきゃいけない時には、なるべくわたしが折れるようにしたい。純也さんだって、そんなに無茶なことを言わないと思うから。 もうすぐ、編集者の岡部さんがさっき話した短編集のゲラ稿を持ってくるはず。そしたら、いよいよ商業作家としてのお仕事が本格的に始まります。長編の方はデータを送ったきり、まだ連絡はありません。今ごろ出版会議の真っ只中ってところかな。どうか出版が決まりますように……! かしこ八月三十一日 いよいよ商業デビューする愛美』****(純也さんがこの手紙を読むのは日本に帰国してからだろうな……。どうか、あの小説の出版が決まりますように!) だってあれは愛美が初めて執筆に挑戦した長編小説で、本として世に出るために書いていたのだから。自分でも、もしかしたら大きな賞とか本屋大賞が取れるんじゃないかと思うほどよく書けたという自負がある。 ――ところが、世間はそう甘くなかった。
****『拝啓、あしながおじさん。 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 今日、さやかちゃんと一緒に〈双葉寮〉に帰ってきました。明日から二学期が始まります。 今年の夏休みも、ワーカーホリックの中学校の宿題はバッチリ終わらせました! さやかちゃんも。 珠莉ちゃんはこの夏、モデルオーディションを何誌も受けて、ついにファッション誌の専属モデルに合格したそうです! わたしに続いて、珠莉ちゃんも夢を叶えたんだって思うと、わたし嬉しくて! 二学期には自分の進路を決めなきゃいけないから、多分一学期までより学校生活も忙しくなりそう。わたしは作家のお仕事もあるから、他の子たち以上に大変だと思う……! でも、わたしと珠莉ちゃんはもう進学する学部を決めてるからまだいい方かな。問題はさやかちゃん。まだ福祉学部にするか、教育学部にするかで迷ってるみたい。わたしは彼女がどっちを選んでも、全力で応援してあげたいと思ってます。 ところでおじさま、聞いて下さい。わたし今日、やっと純也さんと仲直りできたの! 実は夏の間ずっと、彼といつ仲直りしたらいいのかタイミングをうまく掴めずにいて、わたしも気にしてたの。 確かに七月のケンカでは、わたしにヒドいことをさんざん言った彼の方が大人げなくて悪かったけど、わたしもちょっと意固地になりすぎてたのかなって反省したの。「メッセージを既読スルーしてやる」とは思ってたけど、彼からはまったく連絡が来なくて、だからってわたしから連絡するのもなんかシャクで。 でも、やっぱり仲直りしたいなと思ってたタイミングで、おじさまにも話した彼からのあの上から目線のメッセージが来て。わたしはさやかちゃんのご実家に行くことにしたから、その時にも仲直りはできなくて。 で、今日思いきって彼にメッセージを送ってみたの。電話にしなかったのは、彼がオーストラリアにいるってメッセージを送ってきてたからっていうのと、電話で話すのは正直まだシャクだったっていうのもあって。そしたらすぐに既読がついて、彼から電話してきてくれたの。 純也さん、「大人げないのは自分の方だった。ごめん」ってわたしに謝ってくれました。彼はわたしの自立心とか向上心が本当は好きだけど、同時に自分に甘えてくれなくなるんじゃないかって、それを淋しく感じてたみたい。「男ってバカだろ?」って言って笑ってました。
「……純也さんは今、まだオーストラリアにいるの?」『うん。こっちは今、冬の終わりって感じかな。でも寒さが厳しくてさ、早く日本に帰りたいよ。そっちはまだ残暑が厳しいんだろうな』(あ、そっか。オーストラリアは南半球だから日本と季節が真逆になるんだっけ) 地球の反対側にあるオーストラリアは、日本と時差はほぼないに等しいけれど、その代わり季節が逆転しているのだと愛美は思い出した。クリスマスにサンタクロースが雪ゾリではなく、サーフボードに乗ってやってくるというのが有名なエピソードである。「そうなんだよね。明日から九月なのに、まだ真夏みたいに暑いの。純也さん、日本に帰ってきたら茹(ゆ)だっちゃいそう」『それは困るなぁ。でも、あと二、三日後には帰国する予定だから。仕事も立て込んでるみたいだしね。でも、どこかで予定を空けて愛美ちゃんに会いに行くよ』「うん! じゃあ、気をつけて帰ってきてね。わたしも明日からまた学校の勉強頑張る。あと、短編集のゲラのチェックもやらないといけないから、そっちも」『現役高校生作家も大変だな。でも、何事にも一生懸命な愛美ちゃんならどっちも頑張れるって、俺も信じてるよ。……夏休みの宿題はちゃんと終わった?』「大丈夫! 今年もちゃんと全部終わらせたから。――それじゃ、帰国したらまた連絡下さい」『分かった。じゃあまたね、愛美ちゃん。メッセージくれて嬉しかったよ』「うん」 ――愛美が電話を終えると、嬉しそうに笑うさやかと珠莉の顔がそこにはあった。二人は通話が終わるまでずっと、成り行きを見守ってくれていたようだ。「純也さんと無事に関係修復できてよかったじゃん、愛美」「お二人がギクシャクしてると、私たちも何だか落ち着かなかったのよねえ。だから、無事に仲直りして下さってよかったわ」「さやかちゃん、珠莉ちゃん、心配かけてごめんね。でも、わたしと純也さんはこれでもう大丈夫。見守ってくれてありがと」 思えば七月に彼とケンカをしてから、この二人の親友にもずいぶんヤキモキさせてしまっていた。彼女たちのためにも、こうして無事に彼との仲を修復できてよかったと愛美は思った。「――さて、一応形だけでも〝おじさま〟に報告しとかないとね」 あくまで愛美が「純也さんと〝あしながおじさん〟は別人」、そう思っているように彼には思わせておかなければ話がややこしくなる